8〉共産黨宣言

Das Kommunistische manifest: the Communist Manifesto; Le Manifeste Communiste(1848)
マルクス=エンゲルス

成立と理論的意義

旣に一八四四年九月以来知り合っていたマルクスとエンゲルスとは、科学的社会主義への思想的成熟を共にしつつあったが、一八四七年一月には、亡命ドイツ革命家らが中心となって国際的社会運動の母胎を成していた「義人同盟」に加わる至ったが、同年六月のロンドンにおけるその第一同大会でこの同盟の改組が議せられた結果、改めて「共産主義同盟」と称することになり、従来の陰謀的神秘的な性格を脱して、民主的組織をもった無産階級のための近代的な宣傳結社となった。この改組された同盟が同年十一月に再びロンドンで第二回大会玄関くに当り、旣にそれまでに諸国の革命家たちから齊しく重んぜられるようになっていたマルクス、エンゲルスの二人は、その大会において、同盟あ宣言・綱領の執筆を委託された。これより先エンゲルスは、その最初の草案
ともいうべき有名な『共産主義の原理――共産主義者の信條草案――』を起草していたが、二人はこれを基礎として協議研究した。その結果、一八四八年の一月末に漸く完成されたのが、卽ち本書『共産黨宣言』(屢々單に「宣言」又は「マ二フェスト」と略稱される)である。

それは今から丁度百年前のことであり、その年にフランスをはじめヨーロッパの各地に起った謂ゆる一八四八年革命との間に、必然的な歷史的関連を有するものである。旣に、その完成した草稿がロンドンの印刷所へ送られたのは、フランス二月革命の勃溌した同年二月廿四日の直前であり、それが初めて発表されたのは、ミラノとベルリンとに革命の起った同年三月十八日のことであった。

かくて、それは忽ち各国語に翻譯されて廣く流布されるに至ったが、四十数年後にエンゲルス自身その「ポーランド版への序文」(一八九二年)で言っているように、 『宣言』の普及部数がその国の労働運動の状態ないし大工業の発達程度のバロメーターと見られる、といろ程の重要性をもつに至った。

マルクスよりも十二年ほど生き永らえたエンゲルスは、「一八八八年英譯への序文」の中で、「この『宣言』は二人の合作であるけれども、自分はその核子を形にする根本の提案がマルクスに属することを明言する義務があると思う。(中略)この提案は、了度ダーウィンの進化論が生物学に與えたと同様の効果を史学の上に與うべきもので、マルクスと自分は、二人共に、一八四五年以前において漸次それに近すぎつつあったのである。最初自分が單独でどの程度までそれに近すぎ得ていたかは、自分の著書『イギリス労働階級の状態』*(一八四四年)を見れば最もよく分るところである。然るに、一八四八年の春、自分がブリェッセルでマルクスに再会した時には、彼はすでにそれを完成していて、ほとんど自分が今こゝに誌している〔前記(中略)の筒所に見える「提案」内容の要約――後出〕のと同じような明晰な字句でそれを自分に示したのであった」と述べて、もつぱら亡友マルクスに功績を帰するに努めるといった床しい友情た見せているが、『宣言』が事実上二人の同志的協同労作に成ったものであることは、それを前掲『共産主義の原理』の内容と比較対照してみれば、おのづから明かなところである。

ところで、本書の瑚論的定義については、いろ\/な研究者の言葉を数多く列べ立てるよりも、その思想と実践との最も忠実にして正しく且つ優れた後継者たるレーニンの次の如き簡潔な言葉を引くだけで十分であろう。卽ち、――「天才的な明白さと明確さをもつて、新しい世界観、徹底的な唯物論、全面的で深刻な発展学説、階級闘争、および新しい共産主義社会の創造者としてのプロレタリアート世界史的役割に関する理論としての辨證法が、えがかれている」と。またスターリンはもっと『宣言』を「共産主義の讃歌」と呼んでいるといわれる。(岩崎書店版『哲学小辞典』のその項参照)

内容と構成

B六版による翻刻書(ドイツ語、英語等)でも僅か五、六十頁くらいの、文字通りの小冊子でありながらも、『宣言』の内容の豊富なことは讀む者のひとしく感嘆するところであって、この小冊子の中に、経済史、経済原論、経済政策、経済学説史ないし政治論等にわたる、いわばプロレタリア須知ともいうべき、一切の必要事項が網羅されて居り、かつそれに解明が施されているのである。いま、その主要点を取り出してみると、(一)社会の発展、ぶるしょあじーの没落とプロレタリアートの勝利の必然性が示され、そこから勝利の確信が與えられる、(二)共産黨とは何か、その役割、その綱領、(三)私有財産、自由、個性、文化、家族、婦人、国家、祖国にたいする共産主義者の態度、(四)「萬国の民主的諸黨派の團結と一致のために努力」しつつ、共産主義の勝利のためにたたかう共産黨の戰略戰術――などがそれである。
本書の構成は、-――一・ブルジョアとプロレタリア、二・プロレタリアと共産主義者、三・社会主義および共産主義の文献(1 反動的釈迦う主義――A封建的社会主義、B小ブルジョア社会主義、Cドイツ社会主義又は「眞正」社会主義――2 保守的社会主義又はブルジョア社会主義、3 批評的空想的な社会主義および共産主義)、四・革命諸政黨に対する共産黨の態度、となっている。そして一・では、ブルジョアとプロレタリアの対立の由来とその歷史的意義とが述べられ、二・では、プロレタリアと共産主義との関係が説かれると共に、ブルジョア社会の科学的分析が行われ、これに対し共産主義の取るべき実際政策が理論的に提示され、三・では、その頃までに行われていた社会主義、共産主義に関するさまざまの学説が列挙・批判され、そして四・では、共産主義者のとるべき革命の戰略戰術、および共産黨と他の諸政黨との関係が明かにされている。
かくて、「一つの妖怪――共産主義の妖怪がヨーロッパを徘徊している」の一句に始まる前文、および「一切のこれまでに現存せる社会の歷史は階級闘争の歷史である」という有名な本文の冒頭から「支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリアは自己の鉄鎖よりほかに失うべき何物をも持たない。そして彼らは獲得すべき全世界を持っている。萬国の労働者團結せよ!」というこれをよく知られた結語に至るまで、それは、まことに「讃歌」の名に値するほどの、熱烈な、解放への叫びであり、訴えである。しかも、それを貫いているのは、「一八八三年ドイツ版への序文」でエンゲルス自らの言つているように、――「あらゆる歷史時代の経済的生産、およびそこから必然的に生じてくる社会の構成は、これらの時代の政治および学問の歷史の根底をなす。それ故に(古代土地共有制の滅亡以降の)全歷史は階級闘争――社会の種々な発展段階における非搾取階級と搾取階級との、また被支配階級と支配階級との闘争――の歷史であった。この闘争は、然としながら、今や一つの次のような段階に到達した。卽ち、そこではもはや非搾取、被圧迫階級(プロレタリアート)が、同時に、全社会をも永久に、搾取と圧迫と階級闘争とから解放することなしには、搾取し圧迫する階級(ブルジョアジー)から自己を解放することは出来ない」という根本思想である。

現代的意義

「『宣言』の現代的意義を要言すると、第一に、人民民主主義革命すなわち、人民の眞の多数者のための革命をめざすことである。――過去の歷史は階級対立の歷史であり、社会の一部が他部分を搾取し、過去の階級闘争は少数者が多数者を支配するのであったが、今度は、最大多数者が最大多数者の利益のために、国家権力を運営する。第二に、『宣言』は民族と階級の問題を提出した。プロレタリアートは、ブルジョア独裁のもとでは、全民族・全国民の地位からは疎外されてしまった。全国民がプロレタリア化しつつある今日、労働者階級とは、自己を国民的階級に向上させ、自己を国民として組織しなければならない民族復興の主体である。労働階級それ自身こそ、それらのみがすでに唯一の国民的利害を代表しているのだ(第二章)。第三に資本主義より社会主義への履行の主要な物質的基礎をつくることである。『宣言』以降の一世紀のあいだに、大産業、資本主義的なカルテル、シンジケート、トラストの発達ならびに金融資本の規模と威権の増大のうちに労働の社会化が行われ、資本主義社会から社会主義社会への轉化の不可避性が進行し、社会主義の不可避的到来のための主要な物質的基礎が用意されつつある。『宣言』は、ことに主要産業の国有化、金融機関の国有化を方策した(第二章)。人民民主主義革命はこの履行を促進してゆくものである。そして、『宣言』の結論は、こんにちの人民人主主義革命において、民主的な世界平和のために、そして新しい社会秩序の創造のために輝かしい灯台として證明している。」(平野義太郎)(a)

実践的意義

「この『宣言』は一個の輝かしい闘争貢献であり今日なお偉大な実践的意義を持っている。第一に、この『宣言』は人類の歷史が階級闘争の歷史であり、その最後の段階である資本主義社会は、どうにもならぬ矛盾から最も激しい階級闘争の舞台になる事、このたたかいは不可避的に資本主義の崩壊と労働階級の勝利、社会主義の建設へとみちびくものであることを、何人も否定することの出来ぬ鮮やかさをもつてありありと論證している。したがって、この『宣言』を讀むことにより、勤労大衆は、自己の地位と使命とにめざめ、その最後的勝利に対して確信をいだくことができ、勇氣をもって闘争に参加することが出来る。――第二に、この『宣言』は、人類の歷史にはじめていかなる偏見にもとらわれない一個の新しい世界観をうちたて、新しい科学の出発点となったものである。それは、従来の支配階級の立場に立った観念的方法論に対して、一切の階級的偏見から解放されたプロレタリアーの科学的方法論、すなわち徹底した唯物論の立場と辨證法による史的唯物論の法則をあたえている。われわれはこの方法論をつかむことにより、今日の世界の動き及び日本の社会に対して、正しい分析を加えることができ、更に明日の世界、明日の日本について、しっかりした見とおしをもつことができるのである。――第三に、この宣言は、労働階級の前衛部隊である共産黨の役割をのべ、その綱領と基本的な戰略戰術をはじめて世界の前に明かにしたものである。(中略)かように、百年前の『共産黨宣言』の発溂たる実践的精神は、今日の日本の共産主義者の血管の中にも少しもおとろえず脈うっている。(下略)」(野坂参三)(b)

上記(a)(b)は三田新聞一九四八年二月十日号(「嵐の一八四八年」特集)編から引用。尚、平野著『幸徳秋水』参照

我が国と『宣言』

――旣述エンゲルスの謂わゆるバロメーターとしての『宣言』の普及程度は、我国ではどうであったか。成程すでに今から四十数年前の明治卅七(一九〇四)年十一月十三日――日露戰争の眞最中――に、当時の反戰論の先鋒であった「週刊・平民新聞」第五三号が、その創刊一周年記念特集として、全紙面をあげてこの『宣言』の最初の邦訳文を掲載したことがある。当時日本の先駆的な社会主義者の一團は、言論の上で、そこまでのチカラをもっていたのだ。だが、悲しいかな、それは大衆的規範を持たなかったために、同紙は直ちに発禁となり、母胎なる社会主義協会は解散せられ、その訳者の一人幸徳秋水は、ほか二十数名と共に、数年の後、いわゆる「大逆事件」の断罪によって復讐された。爾来『宣言』は第一等の「国禁の書」として――実際には秘密出版として可なりの廣く讀まれたにもせよ――永くその名を口にすることさえ憚られ、その書名も殆ど伏字だけで表わされて来た。こゝにも、今次敗戰に至るまでの、実に長期に亙るわが国の専制的暗黒政治の特徴が端的に見られるわけである。

参考

現在入手しやすい邦譯書には、彰考書院版「解放交庫」中の堺利彦・幸徳秋水譯.およびナウカ社版.早川二郎譯リヤザノフ註解本がある。前者は前記の如き歷史的念義をもつものだが,譯交としては何分にも古くさい上に誤譯や改餓もある。後者は、主としてエンゲルスの手になる六篇の序文(いずれも必讃!〉が載っているほか、リヤザノフの極めて詳細な註解も添えられているから頗る便利である。だが.発行者もことわっているように、リヤザノフは、嘗つてはソ連のマルクス・エンゲルス研究所の所長だったこともあるが、一九二二年にメンジェヴィトキの陰謀事件に関與したためその職を免せられ、黨籍をも奪われた人で、その註も「すでに古く,誤りも多くあり、しかも外国人労働者向きに書かれているので、参考にするには注意しなければならぬ」*といわれている。序でながら、リヤザノフはその著「マルクス・エンゲルス傳」の中で、「共産黨宣言は二月革命と無関係につくられ、またそれにたいして何の影響も與えなかった」といっているが、これは全く誤りであり、むしろ「宣言」こそは「唯物史観形成の時期を書するもの」**という批判的見解をあることを言い添えておく。なお、近く日本共産黨のM・L研究所から註解つきの邦譯決定版がでるそうだから恐らくそれが最上の邦譯書となろう。
*日本共産黨発行の雑誌『新しい世界』第十四号載、小野義彦「必讀書のすすめ」(1)から。
**「東北学生新聞」第五二(四八年十六月五日)号所載.伊豆公夫「二月革命と共産黨宣言」から。

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