11〉金融資本論

Das Finanzkapital: eine Studie über die jüngste Entwicklung des Kapitalismus(1910)
ヒルファーディング、ルドルフ

書名

詳しくはドイツ語原題にあるように、「金融資本論、資本主義の最近の発展に関する一研究」と呼ぶべきであるが、こゝでは旣に呼び鳴らされている略称だけを標題とした。

意圖と意義

著者は本書の序文で、「マルクス主義はその経済理論の展開を怠つている」という意味の、従来屡々マルクス主義に対してくわえられて来た非難が或る程度当っていることを認め、本書がかゝる非難を封じるのに役立つべきことを期すると共に、本書は「最近における資本主義の発達に現れた経済的諸現象を科学的に把握しようとするものであり、且つそれをマルクスの経済理論体系の中へ編み込もうとするものである」として、そのアンビシアスな執筆意図を示している。
かくて、屡々「『資本論』以降の資本論」とまで呼ばれる本書は、著者自身の意識的な意図においてもやはりそのようなものとして書かれたわけである。確かに、産業資本主義の特徴を問題として書かれたマルクスの『資本論』*が出て以降、資本主義の発展と変質とには驚くべきものがあり、マルクスが彼自身の眼で見ることのできなかったような諸現象も次々に現れた。そして、ついに一九世紀末から帝国主義の時代となり、その結果は第一次世界大戰となって資本主義そのものを危険に陥れ、更にその危険のより以上の深刻化はついに今回の第二次世界大戰を招くに至ったが、今や戰後の情勢は時代に世界史の統一的解決に向かっているように思われる。しかも、こうした近代ないし現代詩の幾変動にも拘らず、『資本論』に展開された基礎理論はその健全さ乃至正鵠さを失わず、現実の進展は却つてこの理論の强靱さを立證するのみである。むろん、この理論の正しさは、当時なお未発展の形にあった諸事実に対しては抽象的な正しさたる他はなかったが、こうした抽象的な理論を、その後の現実過程の裏附けによって具体的に展開したのが、ヒルファーディングの名著たる本書『金融資本論』である。それは、マルクスの『資本論』の要領のよい縮刷版であるばかりでなく、いわばそれの最新の増補版でもあるのだ。
けだし、『資本論』以後における世界経済の発展は、次第に会社企業と銀行資本との優越、資本家的自由競争に代る資本家的独占への傾向、産業資本の止場による金融資本の支配などの新事態をもたらし、それらの因子の總合的結果として資本主義的帝国主義の段階にまで達したわけであって、本書はその間における剩餘價値の分配と資本集中過程の変化、および階級対立の激化を、精細な実證的研究とマルクス主義的方法とによって理論附けたものであり、そのようなものとしての優れた研究成果により、ホプソンの『帝国主義研究』と共に、後日、レーニンの不朽の業績たる『帝国主義論』*(一九一六年)に、基礎資料としての少なからぬ寄與をもなしたのである。

構成と内容

このように大きな意義をもつ本書は、五編、通経二十五章に亙る尨大な・然し整然たる・構成を有するが、こゝでは、以下、便宣上各篇毎に目次を示すと共に、その内容の要旨を添えることにする。

第一篇・貨幣と信用――1・貨幣の必然性、2・流通過程における貨幣、3・支拂手段として貨幣――信用貨幣、4・産業資本の流通上における貨幣、5・銀行と資本信用、6・利子率。
この篇では、問題の金融資本の謎を解くべき、まずその根底たる『資本論』の基礎理論を説明して次篇以下に於ける新理論展開のだめの準備がなされている。

第二篇・資本の動員―擬制資本――7・株式会社、8・有價證券取引所、9・商品取引所、10・銀行資本と銀行利得。
この篇では、「後記資本主義」において主役を演ずる株式会社と銀行との分析が行われ、銀行が次第に産業会社に対する監視権を握り、更に企業の支配権を握るようになった大資本家はそれによって擬制資本処分の利益を占めることが出来るが、そうした立場を占めるのは銀行資本であるところから、ついに金融資本の成立を見るに至る事情が明かにされている。

第三篇・金融資本と自由競争の制限――11・利潤率平均化の障害とこの障害の克服、12・カクテルとトラスト、13・資本主義的独占と商業、14・資本主義的独占と銀行―資本の金融資本家、15・資本主義的独占と價格――金融資本の史的傾向。
この篇では、事実上商業資本に変形されたところの貨幣資本がすなわち金融資本であること、そしてそれは利子取得資本として銀行に預けられ、その大部分は銀行を通して産業資本に変形せられ、かくしてそれは生産過程の中に定着されるが、産業において現に発達し、産業の独占化と共に絶頂に達すること、しかも金融資本は企業のカルテル化を続行して止まず、それは全般的カクテルと一中央銀行の説立に至るまで続くであろうが、そうなった暁には、所有関係の問題は極めて明確かつ尖鋭化して来て、全社会経済の組織化の問題が愈々終局的解決に迫るであろうということ――これらの特徴が明かにされる。

第四篇・金融資本と恐慌――16・恐慌の一般的諸條件、17・恐慌の諸原因、18・景氣の経過上における信用関係、19・沈滞期における貨幣資本と生産資本、20・恐慌の性質上の変化―カルテルと恐慌。
この篇では、恐慌のけいれん的な症状がブルジョアジーにとって恐怖の種であり、従って従来それは何か特別のもののように扱われていたが、それは彼らに恐慌を分析する能力がなかったためでありたゞマルクスの理論だけがそれに対して十分の説明を與え得ることが立證されている。卽ち、本篇においてヒルファーディングは、マルクスの理論をまとめ発展させることにより、恐慌の周期性とその必然性とを理論的に説明路津子に成功して居り、金融資本によって促進される企業のカルテル化が結局、恐慌の発生を止めることも乃至その作用をなくすことも出来るものではなくで、單にこの作用の打撃を比較輝産業に轉嫁するだけに過ぎず、その限りに於いて恐慌作用を変形させるだけだということを明かにしている。

第五篇・金融資本の経済政策――21・貿易政策の轉向、22・資本の輸出と経済領域あらそい、23・金融資本と諸階級、24・労働協約のためのたたかい、25・プロレタリアートと帝国主義。
最後のこの篇では、まず、産業資本の自由貿易が金融資本の貿易政策たる効率保護関税に轉化したこと、次に金融資本の経済政策は(一)できるだけ廣大な経済領域の確保、(二)保護関税によるこの経済領域の競争相手(外国)から分離、(三)この経済領域のカルテルやトラストによる搾取領域化、という三つの目標を追求するものであること、かくてこゝに古い自由主義的諸理想を克服して帝国主義なるイデオロギーが発生し、独占の王者金融資本が帝国主義的イデオロギーをもって世界支配の舞台に登場して来ること等が遂次明かにされる。
更に、金融資本は地主階級を初め中小企業家、商人、新中間階級たる小株主やサラリーマンの利益をも次第に自己に隷属せしめ、結局、全ブルジョアジーの利益連帯を結び、いったいどなってプロレタリアートと対抗するに至ること、その場合プロレタリアート(労働者階級)は現実の闘争として労働協約のための闘いを展開するが、それは(一)個々の企業家と個々の労働者との対立、(二)個々の企業家と労働者團体との対立、(三)一体化せる企業家團体と労働者團体との対立、という三つの段階を経過すること、かようにして企業家と労働者との團体組織が発展するにつれて、賃銀闘争は自ら益一般社会的及び政治的意義を帯びて来、」ついには一つの全体的な政治的事件となり、かくて、相対立する両團体が强大であればあるほど、賃銀値上げと利潤低下との問題は、單なる経済的問題から一轉して権力問題とも化しやすいこと――これらの事情が解明される。そして、最後に(第廿五章)、プロレタリアートと帝国主義との関係が論述されているが、そこには次のような注目すべき説明が行われている箇所もある。卽ち
――金融資本は、社会的生産の支配権を强大な少数の資本家團体の手ににぎらせ、生産をば資本主義のわくのうちで可能なぎりぎりの点まで社会化する。こうした生産の社会化は、資本主義の克服を異常にたやすくする。すなわち、金融資本が最重要な生産部門を統御するようになるや否や、社会はその意識的計画的な執行機関によって、この金融資本を自分の手に納めさえすれば、たゞちに、それら諸部門を直接に支配し得るばかりでなく、それら諸部門に隷属する他のすべての諸部門をも間接に支配し得るのである。
――金融資本は、その完全な形では、資本募頭政府の手もとで経済的および政治的権力が最も高度に完成したことを意味する。かくて、金融資本は資本貴族の独裁を完成する。そして、金融資本は、一国の資本の独裁的支配を他国の資本の利益とますます鋭く対立させると同時に、国民大衆の利益とも、愈々はげしく矛盾させるに至る。

参考

邦譯書には、これまでのところ林要氏のものがあるだけ。但しそれには舊版のもの(大正⑮【一九二六】年、弘文堂版)と、戰後最近に復刊されたもの(世界評論社版)がある。林氏には別に新刊の『金融資本論入門』(同友社刊)があり、これは本書に精通せる同氏の手で平易に解説された案内書であって頗る有益な参考文献である(ちなみに本書「解題」のこの項の記も述同書及び改造社版『社会科学大辞典』中の同氏執筆にかゝる関係諸項等に負うたところが少くない)。別に以前「改造文庫」に入っていた故猪俣津南雄氏の著書『金融資本論』もある。これは原著の内容を巧みに要約して傅えた日本では最初の紹介書だったそうである。雑誌『書評』四八年十月号には、向坂逸郎氏が、ヒルファーディングその人の略傅や、また本書に関する興味ある書誌学的な随想を寄せている。
なお、既述のところからも明かなように、本書はその内容上マルクスの『資本論』*やレーニンの『帝国主義論』*と深く関連しあっているので、それらとの併讀が望ましいことは言うまでもない。また、ルクセンブルグの『資本蓄積論』*並びにホブソンの『帝国主義研究』(改造文庫版)をもできれば参着する方がよかろう。

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