14〉経済學原理

principles of political Economy(1848)
ミル、ジョン・ステュアート

意義

本書におけるミルの思想はリカードの理論を基礎とし、マルサスの人口理論をとりいれたものであって、独創的な点は少い。本書によるミルの貢献は新しい理論を立てたという点にあるのではなくて、それまでの色々の経済学説を整理して、経済学の科学的な外形を完成したところにある。
しかし本書には彼のただ一つの卓見が表われている。それは彼が経済学に歷史的要素をとりいれた点である。従来のブルジョア経済学者は資本家的社会に行われる歷史的法則(たとえば價値法則、人口原理)を永久不変な自然法則であると誤解し、その誤解の上に立って経済現象を説明しようとしたので、その理論はおのづから必然的、宿名的なものとなり(例えばリカードの賃金論を見よ)資本家的社会の永久存続を主張するものとなったのである。マルクス主義経済学の特色の一つは、一切の社会現象や経済関係を過渡的歷史的な性質のものとし、その永久性を絶対に否定して、社会主義への轉換を支持しているところにあることと、対照すべきである。
ところでミルは、次にのべるように、生産論ではブルジョア経済学の立場に立っているが、配分論では歷史的方法をとりいれて、現在のまま社会組織の永久性を疑い、社会主義的傾向に接近しているのである。つまり彼は資本主義の弁護者ではないが、いまだ社会主義の主張者でもなく、この二つの間をさまよった経済学者だったわけである。
本書は生産論、配分論、交換論、社会進歩の配分に及ぼす影響、政府の影響の五篇からできているが、ここでは著者の特色をもっともよく現わしている生産論と配分論との要点をのべて、彼の経済学市場における特異な立場を明らかにしょう。

生産論

著者は生産論においてはリカードから一歩も出ていない。彼によれば、生産の増加のためには生産の方法を改善し、要素の配合を適切にしなければならないと同時に、要素それ自体を増加しなければならない。その要素の中で重要なものは土地と労働力とである。ところが、土地には収益逓減の法則がはたらき、労働力、卽ち人間には人口の原理がはたらくと言うのであるが、そういう條件に縛られた生産論を、彼が、第二篇(配分論)第一章の初めでまとめている中に、次のような言葉がある。
「富の生産に関する法則と條件とは幾分か物理的審理の性質をもっている。それらのものは少しも任意な又は勝手にできる性質をもってはいない。……事物の性質によって定まっている限界内でいかに多くの餘地を作りだすとしても、それには限りがある。そこにはわれわれが作ったものでないところの、またわれわれが変更しえぬところの、そしてわれわれがそれに順応しうるにすぎないところの究極お法則が行われている」と。
これは古い正統派経済学者の傳統的な意見である。ところが、ミルは配分論では次のように言っている。

配分論

「富の配分については事情が違う。それは單に人的制度に関する事柄である。既に一定のものが存在しているならば、人間は、個別的に又は合同的に、それらの物を彼らが欲するように処理することができる。彼らはそれらのものを、彼らが欲するまゝの人に、いかなる條件ででも、これを使用させることができる。……(一定の社会状態のもとでは)富の配分は社会の法律および慣習に依存する。これを決定する規則は、社会の支配的地位にある人々の意見及び感情であり、それは時代を異にするに従って甚だしく異る。そして人間がもしこれを欲するならば、なおいかほどでも違ったものにすることができる」と。
これは資本家的生産とその配分方法とに疑いをもった者の意見である。このように、配分の法則をば変更することのできる一時的なものと考えたことは偉大な一歩前進であったが、ミルはこの識見を生産方面に活かすことはできなかった。

道徳革命論

ミルは本書の第四篇で再び配分のことをのべている。彼は、生産法則の不変性と配分法則の可能性との矛盾の解決に確信がなかったので、よりよき配分のためには人口増加の制限が必要であると考えた。つまり彼は、生産方法の変革(換言すれば、社会組織の変革)による生産力の増加ということを理解できなかったので、人口制限にその道を求めたのである。ところが、人口制限は「個人の用心深さ」によることであるから、更にその意味をひろげて、彼は個人の精神的改造が必要であると説いた。つまり、社会組織の変革でなくして、人間改造に救いをもとめたわけである。そこで彼は「物質的利益」は「社会における道徳革命に比べると、ほとんど取るに足りないものである」と言っている。卽ち、彼にとっては、社会革命よりも道徳革命の方が先だったのである。
だがミルは晩年には社会主義に極めて同感的な立場をとっていたことを、言い添えておく。

参考

ミルの『経済学原理』については河上肇著『経済学大綱』下巻(改造社版)に詳しい解説がある。本『解題』のリカード、みるおよびベンタムについての開設は同書に負うところが多い。なほミルの『自傳』(岩波文庫版その他)は彼の人および思想を知る上において一讀すべきものである。

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