17〉経済表

Le Tableau Economique(1758)
ケネー、フランソワ

意義

十六世紀のなかば以後、欧州諸国の商人たちはお互いにはげしい商業戰を戰わして、金銀貨幣の獲得に狂奔した。その商人階級の利益を代表する経済学説は重商主義と呼ばれるもので、外国貿易をすすめると共に、輸出入と輸出品工業とに保護干渉を加えた。この重商主義は意義率に於いて徹底的に行われて後のイギリスの强大を築いたものであるが、大陸、特にフランスにおいてはルイ十四世の時代に最高潮に達した。
そのルイ十四世の時代には破滅的な戰争が多かったが、次のルイ十五世の時代(一七一五―七四年)にも七年戰争が起きて国庫は財源に苦しんでいたのに、宮廷も貴族も、フランス革命の使づくことの見通しも出来ないで、踊り狂っていた。そのころ、フランス経済の窮状の原因を探究して、それは重商主義であるから、それをすてて、農業を重んじ自由放任を主張する主義、卽ち重農主義によらなければならないことを説いた一團の経済学者たちがあった。その代表者はルイ十五世の侍医フランソワ・ケネーであった。『経済表』はそのケネーの主著である。
『経済表』はマルクスが『剩餘價値学説史』*の中で「天才的な着想」と呼んで称賛しているものであり、ローザ・ルクセンブルグが『資本蓄積論』*の冒頭で、社会的總資本の再生産の問題の解決を試みたものには、初めにはケネー(の『経済表』)があり、終りにはマルクス(の『資本論』)がある、と言っているものである。

内容

『経済表』は、そのころのフランスの社会を、人間の体になぞらえた解剖図として表わしたものであって、原表と略表があり、その略表の方が経済学にとって従業な意味をもっている。
ゲネーはこの略表「経済表の分析」という論文の中で公にしたのである。その略表は「ただ六つの出発点と帰着点とを撫す美付けた僅か五行から成る一箇の図表」であるが、それによってケネーは国民の諸階級の間に所得がどのように流通するかを明らかにしているのである。その際ケネーは社会の成員を生産階級、不生産階級、地主階級の三つに分けている。生産階級とは農業に従事する人々のこと、不生産階級とは年の商工業者たちのこと、地主階級とは君主・僧侶・その他の土地所有者のことである。
『経済表』そのものの讀解は相当の専門的な知識がなければ用意でないが、ケネーがそれによって表わそうとしている根本思想は、デェ・ソーゼンベルグの解説によると次のようなことである。
――ケネーの意見によると、剩餘生産物は農業においてのみ作りだされる。なぜなら、自然は農業においてのみ生産費および農民の生活資料以上の過剩物資を人間に提供するからである。その過剩が地代の形で地主に與えられ、国富の基礎をなすものである。だから、労働は農業においてのみ生産的である。商業および工業においては、労働は費出を要するのみで、過剩生産物を提供しないから不生産的である。つまりケネーは重商主義者とは反対に、利潤の源を商業にではなく生産に見いだし、富は貨幣のうちにあるのではなくて、生産物のうちにあると考えている。そういう彼の思想を『経済表』の中で、生産・流通・配分および消費という社会的過程を一つの統一的な全体として示しているのである。
ケネーはこういう思想に基いて国家が、重商主義の場合のように、個人の仕事に干渉することを非難し、アダム・スミス以下のイギリス正統派経済学者たちの自由放任主義政策の先駆となったのである。
フランス革命の初期の指導者であったオノレ・ミラボーの父、ヴィクトル・ミラボーはケネーの門下であり、重農学派の指導者であったが、この『経済表』については、「世界の成立以来三つの大きな発明があった。第一は文字の発明であり、代には貨幣の発明であり、代さんは経済表の作成である。これは前の二つの成果であり、それを完成するものである」と言っている。また、ある人はこれをマルクスの『経済学批判』*の序文の中の第二頁にすぎない有名な文章になぞらえている。それは、ケネーがこの『経済表』で重農主義学説の全般を図式化していることは、マルクスが僅か二頁たらずの中で彼の全思想をみごとに要約しつくしていることに似ているからである。

参考

邦譯には増井・戸田譯『経済表』(岩波文庫版)がある。マルクスは『剩餘價値学説史』第一巻(邦譯マル=エン前主、第八巻)で『経済表』を取扱っている。解説書としては越村信三郎著『経済表の研究』(現代経済学叢書)が手頃である。また文部省人文科学委員会編集『人文』創刊号(四七年三月)所載、山田盛太郎氏の論文「再生産表式と地代範疇」をも参照するがよい。これはそのあと單行本『再生産過程表式分析序論』(改造社版)にも収められている。

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