19〉国富論

The Wealth of Nations(1776)
スミス、アダム

意義

アダム・スミスの『国富論』(詳しくは「諸国民の富の性質及び原因に関する研究」という書名)は、経済学の成立はここに始まる、と言われている書物であって、資本主義経済学の最も重要な典拠とされている。著者は一七六四年に執筆をはじめ、一七七六年にその第一版をだしている。本書は全五篇三十二章から成るものであるが、ここではその全体の中で取扱われている主な学説について、注意すべき点を主として河上肇博士の記述によって、指摘することとする。

生産論

著者は本書の巻頭をなす「諸言および本書のもくろみ」という一文を、「各国民の年々の労働は、各国民が年々消費する總ての生活上の必要品および便宣品どば、本源的に供給するところの元本である」という言葉で始めている。この命題を出発点として、彼は、各国民の物質的生活の豊かさの度合は、第一には労働の生産力、第二には生産的労働者とそうでない者との都合、の二つに依存すると考える。そこで彼は、第一篇において、労働の生産力に関する諸原因を説明し、社会の富を生み出す最も有力な原因は分業であるとする。そして、分業は、政治家や学者や資本家がそうすれば利益が多くなると判断したり想像したりしたために、行われるようになったものではなくで、「人間の性情におけるある傾向から、極めて徐々に、しかも必然的に生じた結果である」と断言している。ここでは筆者は分業という社会関係を一つの必然性に帰しているのである。
聽者は生産力の発展には資本の蓄積が必要な條件であると考えるのであるが、その蓄積された資本の使用方法については次のように言って、これを個人の利己心に放任している。
「各個人の利己心は自然に彼らをして、その資本をば、普通の場合には、社会のために最も利益のある方面に放下させる。……法律の干渉が少しもなくとも、人々の利己心は自然に彼らを導いて……。社会全体の利益に最も適合させるようになるものである。」

配分論

著者は配分に関する意見を第一篇第十章でのべている。労働の賃金に差異を生みださせる事情は次の五つである。卽ち、(1)その職業が愉快であるか否かの別。(2)その職業を習得することの難易およびそれに要する費用の多寡。(3)その職業が継続的であるか、問歇的であるかの別。(4)その従業者に対して要求される信用の多少。(5)その職業に志して成功しうることが確実であるか否かの別。そして彼の意見によれば、「これらの五個の事情は、事業を異にするに従って労働に対する賃金および資本に対する利潤の上に、どのように著しい不平等をもひきおこさない」のである。そして、自由競争が完全に行われておれば、差異はすべてもっとも公平な点に定まる、と言うのである。

政策論

著者は政策の方面では自由任放主義を主張する。「保護または干渉のすべての制度が全然取り去られたら、自然的自由と言う明白で簡單な制度が自ら樹立される。」この事由は「他の何人の事業および資本たるを問わず、自分の事業および資本をもってこれと競争すること」の事由であるが、この資本家的企業の自由というもののうちには、労働者のためのいわゆる労働の自由をも含んでいる。それは、労働者が労働力を商品として賣ることの自由であり、資本家が労働力の購入を選澤することの自由である。それは生産および交易の自由、財産の所有および処分の自由である。そこで著者はこの事由の侵害は「人類のもっとも神聖な権利に対する侵害」であるということを、繰り返してのべている。

價値論

著者は、商品の價値はその商品の生産のために費やされる労働の分量によってきまる(費用労働説)と考える。ところがまた筆者は、ある場合には、商品の價値は、そのものが支配する労働の分量によってきまる(支配労働説)とも言い、この二つの見解の間をさまよっている。これは「ある物の價値は、その物がその所有者をして購買し又は支配するをえしむところの・生産物のうちに含まれる労働の分量に著しい」と言うべきところを、「購買し又は支配するをえしむところの・労働の分量に著しい」と言ったことから起きた混同である。つまり、商品の價値を、それに対象化されている労働の分量によって決定することとの混同である。このことは彼の剩餘價値の見方に関係がある。

剩餘價値論

著者は價値法則と剩餘價値の生産――卽ち本家的生産――との外見上の矛盾に悩んだ。彼は、労働者が原料の上に新たにつけ加えた價値の全部を賃金として受けとるのではないこと、卽ち、彼らの労働はその等價が支拂われる部分と支拂われない部分との二つから成るのであるが、その無償の部分は融資價値となって資本家の手に帰するものであることに氣づいた。この点に氣づいたことは、経済学に対する彼の大きい貢献であるが、それを自分では十分に理解することができなかったのは、彼にこれを價値法則の破産であると考えた。つまり彼は彼の價値法則(資本家的正義)と常用價値の資本家による収奪という不正義との矛盾を解決することができなかった。換言すれば、スミスは労働の價値とその使用價値とを区別することができなかった。この問題の解決のためには、^マルクスを待たねばならなかったのもある。

参照

邦譯には氣賀勘重譯『国富論』(岩波文庫版)の他に、竹内謙二譯(改造文庫版)がある。またマルクスは『剩餘價値学説史』*第一(邦譯マル=エン全集、第八巻)で、スミスを批判している。一般的解説としては川上肇著『経済学大綱』下巻(改造社版)がよい。なおスミスのアジアにたいする観察については平野義太郎著『農業問題と上地変革』(日本評論社版)所収「スミスの忠告論」を参照せよ。

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