32〉實證哲學講義

Cours de Philosophie Positive.(1830-42)
コント、オーギュスト

意義

本書は六巻からなる大著であってコントの学問の全体系がおさめられているが、その中の第四巻の一部と第五巻、第六巻の全部とが社会学にあてられている。実證哲学というのは、知識の対象は我々が経験しうる現実の事実以外にはありえないという考えを基礎とする哲学、卽ち自然科学に根拠を求める哲学である。コントはこの大著によって、学問は数字に始まり、星学、物理学、化学、生物学を経て、社会学において最高の段階に達する。そして、それぞれの段階の学問はその前の段階のものの上に成立すると説いた。(だがここで注意しなければならないのは、コントは、スペンサーとはちがって、心理学に独立の地位を與えていないということである)。本書の出現は思想史上に一新時期を割したものであり、哲学の敗北、科学の勝利を示す、とまで言われたものである。

主張

コントはソシオロジー(社会学)という言葉をはじめて使っただけでなく、この学問をはじめて体系的に組み立てる企てをしたので、「社会学の父」とも呼ばれている。彼によると社会学は社会静学と社会動学との二つに分れるのである。

社会静学

社会静学は社会の秩序の要素と條件とを研究するものである。その研究の中で重要なのは家族と社会との関係である。社会の單位は個人ではなくして家族である。家族は社会の雛刑であって、社会生活への学校である。社会生活上に必要な服役の観念は家族生活の中で教えこまれる。それは家族と社会とが性質の同じものだからである。だが、この二つには性質の異なったところもある。それは、家族が愛情を基礎とするものであるのに対して、社会は分業を基礎としている点である。勿論家族にも分業の要素(夫婦の別のごとき)があり、社会でも同情心が或る役割を果たしている。然し社会の本質は分業の基礎の上に立った知的な協力である。――このように、コントが近代社会を分業と協力を特質とするものとして説いたことは注目に値するとされている。

社会動学

社会動学は社会進化の法則を研究するものである。コントはここで、社会学を、学問発達のその直前の段階である生物学からはっきりと区別して、社会における人類の継続的進歩という思想を展開しているのであって、社会動学こそは彼の全思想の華であると言われている。事実また彼は、『実證哲学講義』の第五、六の二巻を専らこれに当てているのである。
コントはここで、まず二つの問題を持ち出している。第一は、人間社会の事象に果たして自然的な進化があるかどうか?代には、その眞價は進歩を意味するかどうか?ということである。この二つの問いに対して彼は然り、と答える。彼の答によれば、社会の自然的進化は人類の属性が、成長発展するということの中におのずから現われている。人間の発達は卽ち社会の進歩を意味するものである。だが、人間の能力には、道徳的、審美的、知識的と様々なものがあるが、人間の進化を、従ってまた社会の進歩を支配する眞の力はなんであるか?コントは、それは知的発達であると主張する。このように、社会進歩の原動力を知と見ることは、單に彼の社会学の根本命題であるだけではなくして、『実證哲学講義』の全精神なのである。
では、この知はどのように進化するものであるか?それに対する彼の答は、「三状態の法則」と呼ばれる有名なものであるが、彼はそれについてこういっている。――「我々の知識の各部門は、エ理論的に異なった三つの状態を順次に通過する。神学的すなわち擬制的状態、形而上学的すなわち抽象的状態、科学的すなわち実證的状態がそれである。換言すれば、人間精神は、その性質そのものによって、各個の探究において、その特性が本質的に異なっている・いな根本的に相反している・三種の哲学的方法を順次に採用する。卽ち、まずは神学的方法、次に形而上的方法、最後に実證的方法を採用するである」と。
この三状態の法則はまた三段解説とも言われている。そこで、第一の神学的段階では、人間は神という過程を設けて説明し、絶対的知識を求めようとする。第二の形而上学的段階では、紙という言葉を用いず、その代りに現象の背後にある実体という観念を設けて説明し、矢張り同じく絶対的知識を得ようとする。第三の実證的段階では、人間は想像に頼ることをやめて、理想に従って世界の観察をなし、相対的知識を探究して現象の法則を見いだそうとする。というのである。換言すれば、人知は宗教的、哲学的、科学的という三段階の進歩をする、とコントは説くのである。
コントはこのような実證主義社会学の体系を樹立したが、晩年に至って、その愛人の死後、宗教的となり、「人道教」なるものを唱えた。そして理想国家の夢を描き、権力は「産業の頭冒」(銀行家、製造家、地主)が握っていて、労働者および社会一般の為に行使すべきものである、少数派の手に資本を集中することは無産階級の利益である、と説くに至った。

参考

邦譯には石川三四郎譯『実誌哲学』(世界大思想全集、上下二巻)があるが、抄譯である。コントについて一般的な知識を得るためには田邊壽利著『コント実證哲学』(昭和十年)や本田喜代治著『コント研究』(昭和十一年)などがよかろう。

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