38〉「人民の友」とは何か

Shto Takoe ‘Narodniki’(1894)
レーニン、ニコライ

時代的背景と意義

「人民の友」という言葉のロシア語は「ナロードニキ」であって、「人民派」とも訳されている。一八六一年のロシアにおける農奴解放をめぐって自由意思を抱く人々が時代に社会運動をはじめ、一八七〇年代の終りごろには活發な革命家の團体となった。彼らは「ヴ・ナロード」(人民へ)という言葉を標語としたので「人民の友」と呼ばれるのであるが、この運動方針はニヒリズム(虚無主義)の傾向を帯びたものであった。彼らは人民と階級とを混同し、プロレタリアートの歷史的役割を理解しえないで、封建的な農村共同体(ミール)を非常に重要視し、ロシアは資本主義を経ないで、ミールによって共産主義に達しうると考えていた。後に、その左翼はテロリストとなり右翼は自由主義的反動家となった。
一八九〇年代のナロードニキ派は富農層の利害を代表し、革命的闘争を拒んで古い秩序との自由主義的妥協に傾いていた。そして理論においては反動的な主観的観念論を主張していた。彼らの見解によると、人間史の決定的な動力は個人としての「英雄」であり、「批判的に思惟する人」であって、人民大衆は英雄の後についてゆけばよい、と言うのであって、その出版物ではマルクス主義を盛んに攻撃していた。この派に対する闘争はプレハーノフとその一團によってはじめられたが、不十分であったので、レーニンは本書によってナロードニキを徹底的に撃破したのである。ちなみに本書の詳しい標題は、『ナロードニキとは何か?彼らはいかに社会民主主義と闘うか?』というのである。

内容

本書はレーニンがマルクス主義理論家として進出した最初の大きな著作である。彼ははじめてナロードニキの指導者であり・唯心論者であるミハイロフスキーの見解を反駁し、マルクスの弁證法と歷史館とについて明快な説明を與えている。終りの方では、プロレタリアートとその黨の政治的任務について詳しい解説を行っている。レーニンは本書の多くの部分をマルクス主義哲学の問題に当てているので、マルクス主義の理論的基礎を知るための重要な文献となっている。
ナロードニキについては、著者は、彼らは革命的ではなく、専制政治の打倒を任務としているものでもなく、近代社会の基礎をそのままにしておきながら農民の状態を縫いつくらおうとしているだけである、と言っている。プロレタリアートの任務については、彼らは全勤労者および非搾取者の唯一の眞の代表者として、農奴制および皇帝絶対主義との闘争の先頭に立たねばならない、と言っている。絶対主義の打倒のためには、労働階級と農民とは固い同盟を結ばねばならない、そして、分散しているマルクス主義グループを統一的革命的な社会民主労働黨に組織することがマルクス主義者の基本的任務である、と説いている。ここでは本書の中から二三の言葉を引用してみよう。

社会主義者の任務

:「社会主義者の任務は、與えられた社会的経済的發展の現実的な道程に立つ眞の現実的な敵に対するプロレタリアートの現実的な闘争において、彼らの思想的指導者となることである。かかる條件の下では、理論的活動と実践的活動とはひとつの活動に合流する。このことをドイツ社会民主黨の老将リープクネヒトは次の言葉で極めて巧みに言いあらわしている。――「研究し、宣傳し、組織する、と」

現実を研究する必要

「社会主義者はロシアの歷史と現実とのマルクス主義的理解を一層詳細に作り上げ、ロシアにおいては特に混乱せしめられており隠蔽されているところの・階級闘争と搾取とのあらゆる形態を一層具体的に追究せねばならぬ。彼らはこの理論を一層通俗化し、それを労働者に齎らし、労働者をたすけて、それを体得させ、社会民主主義(=共産主義)を普及し、労働者を政治的勢力に結成するために、わが国の諸條件に最も適合した組織形態を作り上げねばならない。」

理論とその任務

「社会主義的知識階級は幻想と絶縁し、ロシアの望ましき發展ではなくて現実的發展のうちに、過納的ではなくて現実的な社会的経済的諸関係のうちに、支柱を探し始める時、その時初めて活動を期待することができる。この場合彼らの理論的活動は、ロシアにおける経済的対立のあらゆる形態の具体的研究に、それらの聯関と論理的發展の研究に向けられねばならぬであろう。それはこの対立が政治的歷史や、法律的秩序の特殊性や、既成の理論的偏見によっておおわれたあらゆるところにおいて、この対立を暴露しなければならぬ。それは生産諸関係の一定の急性としての我が国の現実を完全に描き、この体制の下における勤労者の搾取および収奪の必然性を占め私、経済的發展が提示するところの、これらの秩序から活路を示さねばならぬ。」

眞のスローガン

「われわれは世界に向って闘争をやめよ、汝のすべての闘争は下らないことだ、とは言わないであろう。われわれはただ闘争の眞のスローガンを世界に與えるであろう。マルクスによれば、價額の直接の任務は闘争の眞のスローガンを與えること、卽ち、この闘争を生産諸関係の一定の体制の所産として客観的に提示しうること、この闘争の必然性、その内容、この發展の行程と諸條件とを理解しうることである。闘争のスローガンは、この闘争のあらゆる古語の形態をもっとも線密に研究し、また與えられたあらゆる瞬間において闘争の一般的性質、その一般的目的、すなわち、一切の搾取と一切の抑圧との完全にして最終的な絶滅を願慮しつつ規定しうるために、闘争の一つの形態より他の携帯への推移に察してその一歩一歩を追跡しないでは、與えることはできない。」

参考

邦譯には白揚社版『人民の友とは何ぞや』がある。

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