41〉ソビエト同盟共産黨史

Istoriya fsesoyuznoi kommunisticheskoi Partii(Borishevikov), Kratkii Kurs(1938)
ソビエト同盟共産党中央委員会党史編集特別委員会編集

意義と構成

本書は、スターリンの指導のもとにソ同盟共産党中央委員会党史編集特別委員会によって著述され、とくに第四章のうち、(二)弁證法的および史的唯物論の部は、スターリンみづからの手で書かれたものである。本書の成立の意義に就いては、その諸言にも明らかなとおり、ソ同盟共産党の過去の貴族な体験を、マルクス=レーニン主義の発展的適用によって展開することで、それが個々の具体的情勢に以下に適應していたかを、革命的国際情勢下にある各国共産党への不滅の教訓として示しているのである。
全文の構成を、ソ同盟共産党の、「ツァー制(舊ロシア帝政制度)の打倒、地主と資本家権力の打倒、国内戰争時代の外国の武力干渉殲滅、ソヴエートにおけるソヴエート国家、社会主義社会建設」の歷史を、当の発展段階毎に明確に区分して十二章となし、これに結論を附している。

内容

その内容に就いては、ロシア労働運動と結びつき、これに社会主義意識を注ぎこんだところのマルクス主義研究会から生まれ、更に帝国主義・帝国主義戰争・プロレタリア革命時代という新條件の下において、マルクス=エンゲルスの教義を新しい段階に高めたということ、また、実践の点で労働階級の一切の敵、地主・資本家・富農・妨害者・スパイ・資本主義国のあらゆる傭兵との革命的な闘争によって强化し成長したということ、労働運動内の日和見主義者・ブルジョア民主主義者・民族主義偏向者・反レーニン的グループとの主義上の闘争によって鍛錬されたということで説明し、だからこの歷史の研究はボルシェヴィズムに習熟することを援け、政治的鋭敏性を高め、革命の原動力についての知識によってわれわれが武装され、全世界における共産主義の勝利に対する確信を鞏固にすると極めて還卒に全文の内容を紹介している。
本書の第一章は、一八八三-一九〇一年の間のロシアにおける社会民主労働党結成のための闘争を記述している。卽ち八〇年代頃、産業プロレタリアートの飛躍的増大に伴い、ナロードニキの見解は、プレハノフと彼の「労働解放」團によって粉砕され、九〇年代にはレーニンの指導によって、マルクス主義による大衆的煽動という労働運動との結合に新たなる段階をもたらし、更に『イスクラ』の刊行は、散在していたマルクス主義のグループを統一したという。第二章では一九〇一-一九〇五年の間同党の結成及びメンシエヴィ及びボルシェヴィキ二分派の出現を取扱っている。卽ち、経済主義者達に対する『イスクラ』の勝利、そしてそれが諸種のグループを結合し、一九〇三年の党結成を可能にしたが、メンシェヴィキの組織問題に関する日和見主義は、プレハノフの援助によって、『イスクラ』と中央委員会とを占領し、ボルシェヴィキは分裂を慮って地方組織を動員し、『フ・ペリョード』を刊行するに至る。第三章では、日露戰争と第一ロシア革命の時期においてメンシェヴィキのとった泥濘に墜落した共同主義とボルシェヴィキの革命的戰略及びエネルギーの究明を、第四章では一九〇八年から一二年までの、凶暴なストルイピン反動と、それに脅えたインテリゲンチアの轉向、マルクス主義の修正の企て、それに対するレーニンの名著の決定的意義をのべ、更にマルクス主義の理論的基礎を、スターリン自身の筆になる『弁證法的および史的唯物論について』によって確立し、更にこの反動期における召還主義者、解党派に対する革命的昂揚期におけるボルシェヴィキの非妥協的闘争、トロツキズムに対する、卽ち八月ブロックに対するレーニンの闘争、ボルシェヴィキのの合法的労働者諸組織内における勢力の拡大、遂に一九一二年プラーグ大会において民主共和国、八時間労働、全地主の土地没収という革命的スローガンを揚げるに至った独立的マルクス主義政党の誕生を述べ、第五章に入って第一次帝国主義戰争前の労働運動昂揚期におけるボルシェヴィキ黨が、解党派とその盟友の犯行を粉砕して合法的組織をその革命的仕事の足場にかえ、黨の戰列をかため、国会を革命的煽動の演壇とし、『プラウダ』を創刊して、革命の中核となることを一九一二-一四年の歷史でのべ、第六章では、帝国主義戰争期に於ける第二インターナショナルの反人民的、裏切り的役割をのべたので、戰争及び平和及び革命に関する党の理論と戰術とを、「帝国主義」を「国内戰争に轉化せよ」というスローガンのもった意味で解明しつつ、ついでに三年前の戰の継続によるツァー制の動揺、そして、倒壊――レーニンの指摘の科学性の立證――最終に二月革命と二重政権の樹立という点に及んで、漸く社会主義革命への近接を表している。第七章では十月社会主義革命の準備期及び遂行期における君主制との密通や防衛戰争の主張に決定的に反対し、レーニンの帰還による四月テーゼの、卽ちブルジョア民主主義革命から社会主義革命への轉移に対する明確な方針の確立、更に臨時政府の危機が労働者、兵士、農民からの憤りを買って深まるや、「一切の権力をソヴェートへ!」なる標語が生まれ、更に四月会議では民族問題がとりあげられ、ここにボルシェヴィキの役割がはっきりと出て来た。七月弾圧の狂気じみた事件を中心に、情勢の的確な把握の中に第六回ボルシェヴィキ大会はついに武装蜂起を準備する段階に達する。かくして労働階級はボルシェヴィキを先頭にたて、貧農と同盟し、ブルジョア権力を打倒し、ソヴェート権力を樹立し、社会主義ソヴェート国家を建設し、人類史の上に新しい時代を開いたのであった。第八章では、外国の武力干渉が、一九一八-二〇年に亙る年間においてなされたこと、そしてコルチャック、デニキン、ポーランド郷土、ウランゲル将軍の突撃が、更に英=仏=日=波の干渉が何故敗退したかが、詳細に箇條書きで述べられている。
第九章は一九二一-二五年までの、国民経済復興をめざす平和的活動への過度期におけるボルシェヴィキの活動が反党的要素との死物狂いの闘争や、新経済計画の遂行や、更に労働者と農民の結合をいよいよ鞏めることに関して書かれている。第十章では、国の社会主義的工業化をめざす闘争におけるボルシェヴィキ党の活動について書かれ、第十一章では、第一次五ヶ年計画の採用から大衆的なコルホーズ運動展開の生きた実列として農業集團化のための闘争が、一方では一九三〇-三四年の、ドイツ・ファシスト政権の成立、日本の満州侵略という戰争の危機の下で、他方では、クラーク抑圧政策からその絶滅へ、またコルホーズ運動における党政策の歪曲に対する闘争、ブハーリン一味の運動やトロッキストの二枚舌、またスパイの暗躍などに対する党の鋭い対策によって成し遂げられたことが述べられており、かくて最後の第十二章では、一九三五-三七年の三年間における、国際的にはファシスト諸国による第二次帝国主義大戰の開始という状況の下で、第二次五ヶ年計画が期限前に遂行されるというソヴェート政権による革命的な産業諸力の昴揚や、社会主義社会建設の完成および新憲法の遂行をめざす闘争におけるボルシェヴィキ党の輝しい勝利が、党内態勢の着実な整理、発展と共に、力强く説かれている。
更に結論の章では、党史が吾々に教えるものを次のように挙げている。卽ち、(1)プロレタリアの革命的党の必要性、(2)労働階級の党はマルクス=レーニン主義を習得すべきこと、(3)労働階級の陣営内に活動する小ブル諸党を壊滅することなくしては、革命の勝利は不可能なこと、(4)党がプロレタリア革命の組織者、指導者たる役割を果たすためには党内の日和見主義、屈服主義と非妥協的な闘争を必要とすること、(5)自己批判の不可缺であること、等。そして、それらは当の発展過程における諸経験を集約し綜合して導き出されたものである。
なお、本書の意義に就いては既にはじめてふれておいた。ただ本書が全世界の共産党の最善の教科書であり、コムミュニストの百科全書であるということを附言しておくことで充分であろう。

参考

日本譯としては、戰後、大雅堂から『全聯邦共産黨小史』(田岡信太郎譯)として全一巻ものが出版され、別に日本共産党出版部からもマルクス=レーニン主義研究所譯によるマルクス・レーニン主義叢書の第一篇として全三冊を以て刊行された。なお、岩崎書店版『哲学書辭書』のその項をも参照せよ。

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