47〉哲學の貧困

Misere de la Philosophie.
Reponse a Philosophie de la Misere de M. Proudhon. (1847)
マルクス、カール

成立と構成

本書はマルクスが、プルードン一著書『経済的諸矛盾の体系、一名、貧困の哲学』(一八四六年)に現われた小市民的思想を反駁すると共に、自分の新しい歷史観、経済観の諸原理を展開した者であって、彼の多くの著書の中でも必讀すべき重要なものである。本書名は詳しくは『哲学の貧困。ブルードン君の「貧困の哲学」に対する答え』であって、その内容全体の構成は、第一章「科学上の発見」、第一節「使用價値と交換價値との対立」、第二節「構成價値または綜合價値」、第三節「價値均衡の法則の適用」、A「貨幣」、B「労働の剩餘」、第二章「経済学の形而上学」、第一節「分業と機械」、第三節「競争と独占」、第四節「土地所有または地代」、第五節「同盟罷業と労働者の團結」となっている。

内容

マルクスはブルードンの諸説を一々引用しながら、後者が弁證法を如何に理解していないかを説明し、彼の所論がイギリスの経済学とフランスの社会主義とからいかに一知半解な借り物であるかを暴露し、階級関係に関しては、彼は資本と労働との間をぶらついている小ブルジョアにすぎないことを指摘している。本書の各小節から、主要な思想又は言葉を拾ってみると、次のようである。

第一章第一節

ブルードンは交換價値と使用價値、供給と需要との問題を抽象的にしか理解していない。卽ち彼はただ一人の自由なる生産者と、ただ一人の自由なる消費者との間において、人間の自由意思に基づいて、個人的交換が行われるということを前提としている。ところが、現実においてはそのような自由は存在しない。近代的生産においては、生産者は自己の欲するままの分量を生産することさえ自由ではない。消費者の資力と欲望も社会組織の生産物なのである。世界の交易は、ほとんど全部、個人的消費の欲望の上にでなしに、実は生産の欲望の上に行われているのである。

第二節

マルクスは需要供給の間の正しき均衡は大工業の発生と共に廃滅に帰したことを明らかにする。以前には需要が供給に先行した。生産は一歩一歩消費に追従した。大工業は、諸要具それ自体によって、常にヨリ大なる規模の生産へと强制されるので、もはや需要を持っていることはできない。「生産が消費に先行し、供給が需要を强制する。現在の社会においては・個人的交換を基礎とする産業においては・かくも多くの貧困の源泉たるところの生産の無政府状態が、同時にまた凡ゆる進歩の源泉である。…無政府状態を共わない進歩を希求するならば、生産諸力を維持せんがために、個人的交換を破棄しなければならない。」
マルクスはまたイギリスの謂ゆるリカード派社会主義者たるブレイの論著『労働の諸害悪と労働の救済』(一八三九年)を推奨して、屡々引用しているが、その一つに、こういう言葉がある。――「眞理に到達する唯一の手段は眞生面第一原理にぶつかってゆくことである。かの諸政府自体の源泉は何であるか?その根源を探求すれば、凡ゆる政府形態、凡ゆる社会的政治的不正が、現行の社会組織――現に存在する如き財産制度に由来することを、またそれ故、今日の不正と貧困との跡を断たんとすれば、現在の社会状態を根柢から覆さなければならないことを、見出すであろう。」

第三節。

ここれは「貨幣は一つ物ではなくて、実に一つの社会関係である」ことを説き、また「労働の剩餘」は誰の利益に帰するかを明らかにしている。

第二章第一節

マルクスは、ブルードンが一定の社会諸関係もまた(麻布を作るのと同様に)人間によって生産されたものであることを理解しなかったことを指摘して、次のように言っている。
「社会諸関係は生産諸力と密接に結びついている。人間は、新たなる生産諸力を獲得すると共に、その生産方法を変化し、また生産方法を、卽ち、彼らの生産資料を獲得する様式を、変化すると共に一切の彼らの社会関係を変化する。手廻粉挽車は、封建君主のいる社会を諸君に與えるであろうし、蒸氣粉挽車は産業資本家のいる社会を與えるであろう。彼らの物質的生産力に應じて社会諸関係を打ちたてる。その同じ人間が又、彼らの社会諸関係に應じて、原則や、観念や、範疇やを作り出す。それ故、これらの観念や範疇も亦、それが実現するところの諸関係と同様に、永久的のものではない。それらは歷史的・一時的・産物である。」

第二節

ここではマルクスは工場手工業の成立に対する歷史的條件の見事な定式を與え、分業の増進によって人間が「寸断された」ことを説いているが、大工業の自動装置工場においては分業の性質が変化し、「個人の全体的発達への傾向」が生れてきていることを明らかにしている。

第三節

ここではマルクスは競争と独占との歷史的関係を、弁證法的に解明して、ブルートンの哲学の矛盾を衝いている。

第四節

この節の初めに、マルクスは社会関係(例えば「所有」ということ)の抽象的説明を警しめて、次のように言っている。
「歷史上の各時代において、所有は、それぞれ違った具合に、しかも全然全然相異なった社会関係の一系列の種に、発達した。されは、ブルジョア的所有を定義することは、卽ちブルジョア的生産の全社会関係を説明することに他ならない。一の独立せる関係としての・一の個別の範疇としての・一の抽象的且つ永久的観念としての・所有の定義を與えようとすることは、形而上学乃至法律学上の、一の幻想たりうるにすぎない。」
マルクスは本書の第一章第二節において、労働時間を價値尺度とするリカードの價値論を、現在の経済生活の科学的解釈であるとして、ブルードンの價値論の誤りと対比したのであったが、だがまた、次のように言って、理論の歷史性の重要なことを教えている。
「リカードは、ブルジョア的生産を以て、地代を決定する要件と仮定したのであるが、それにも拘らず、彼は地代を凡ゆる時代・凡ゆる国々・土地所有に適用している。これ卽ち、ブルジョア的の生産関係を以て永久的諸範疇となすところの・總ての経済学者の(間違った)やりかたである。」

第五節

ここでマルクスは、労働者たちの階級としての團結と闘争との必然性を説き、「階級対階級の闘争は一の政治闘争である」と、また、「凡ゆる生産用具中の最大の生産力は革命階級それ自身である」と、また、「労働階級の解放證券は一切の階級の廃止である」と言った後に、本書を次のような言葉で結んでいる。
「最早、階級も階級対立も存在せざる如き状態の裡においてのみ、漸く社会進化は政治革命たることを止めるであろう。それまでは、社会の全般的変革の各々の前夜において、社会科学の最終の言葉は、常に次の如くであろう――
『戰いが然らずんば死、――血みどろの闘争か然らずんば虚無。問題は否應なしにかくの如く提出されている。』(ジョルジェ・サンド)」(引用文は岩波文庫版による)

参考

本書の邦譯には従来、高畠素之訳、山村喬訳(マル=エン全集3)、木下半治=浅野晃共譯(岩波文庫版)などがあったが、戰後の新訳に高木佑一郎訳(社会主義者刊行会版)がある。それには「マルクスの身たるブルウドン」他二篇の附録と、本書に対するブルウドンの「書きこみ」及び親切な「人命索引」が載せてある。

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