50〉ドイツ社會文化史

Deutsche Geschichte(1910)
メーリング、フランツ

著名

詳しくは『中世末期からのドイツ史、教えたる人と学ぶ人とのための入門書』となって居り、普通にドイツ語原題の通り『ドイツ史』と呼ばれている。嘗つて(一九三六年)「改造文庫」の一冊として邦譯書(訳者・栗原佑)が出た時にはそうなっていたが、同じ訳者による戰後の復刊士(大雅堂版)が頭書のように改題され、今はむしろその方が一般に流布されていると思うのでここでは便宜上それに従っておいた。

成長と意圖

一九一〇年一月の日附をもつ原著者の序文によれば、本書は、彼が「四年以来党(ドイツ社会民主党)学校で行ったドイツ史に関する講義から生れた」ものであるが、その成立事情や執筆意図については一と通りそこに述べられているので、我々は、以下、メーリング自身の言葉によってそれを知ることにしよう。
「……私は先ず綱要を印刷することに決心した。ところがとかくするうちに私は党学校の教師として、また教育委員会の一員として、歷史的教育の為にそれに似た資料に対する强い欲求が、廣汎な黨の圏内にもあるのを見る機会を、屡々持ったので、この私のプランも亦拡張された。この目的の為に私はいま一度根本的にこの入門書に十分に推敲を加え、これが教える者にも学ぶ者にも、また党学校の外にも、一様にその勉学を容易にできるように構成することに努めたのであった。私の意図がどの程度まで成功したかは、実際これを用いてみることによってのみ明らかになる。(中略)極めて一般的な根本特徴と、極めて狭い場所においてでもいいから歷史的発展を、その内的関連に従って與えなければならなかった。そうして置いて初めて、一層詳細な講義自体がしっかりと根を下ろし得る地盤がしつらえられるのである。――歷史的素材の選択は党学校及び党教育一般の目的に従ってなさるべきであった。ドイツ史が間接もしくは直接にドイツ労働者運動に影響を與えた限りにおいてそれを生徒に理解せしめ得ることが肝要だった。唯物史観は労働者には理解のできないものであるとか、労働者の歷史的教養は個々偉人の傳記を基礎として築かれねばならぬとかいう見解にかかわろうとは、私の更に考えていないところである。しかしながら、歷史的変化を労働者に明らかにする際して、そうした変化を代表したもっとも卓越した人々を拉し来り、それらの人物に依ってそうした変化を明らかにすることは、歷史に対する理解を本質的に容易にするのであろうことは、言うまでもない。(中略)それで私は、傳記的見地が一般的歷史叙述のヴィレンシュタインとグスターフ・アドルフ、十八世紀のルターとミュンツァー、十九世紀のヘーゲルとハイネ、ラサールとマルクス、これらの人々が一体いかなる人物であったかを知ることは、移り行く時代を理解する為には、非常に役立つのである。かかる事情に加えうるに、これらの歷史的人物の全部とはいわばまでも多くの者に関しては、小学校では全く事実をは相反したことが教えられているのである。」云*

内容・構成・叙述

本書の内容は、右の原著者の「序言」からも察知されたであろうように、ドイツ社会民主党(むろんドイツ共産党が分化する以前の)を中心として組織された・又はされつつあった・廣汎な労働者を対象として、唯物史観の立場から平易に書き直されたドイツ史であり、その取扱っている範囲は「ほぼ紀元のはじめゲルマン人が歷史に登場した頃」から、大体十九世紀末、卽ち一八九〇年二月の總選挙でドイツ社会民主党が目醒ましい勝利を得た反面、それまでの十二年間にも亙って、あの悪名高き「社会主義鎮圧法」により絶えず労働者階級と、その組織運動とを弾圧して来た「鉄血宰相」ビスマルクが、ついに完全に失脚するに至るまでの期間である。
その内容は、本書の構成を示す次の目次の總覧からも大よそ想像されよう。卽ち――序論(ゲルマン人とローマ人、ゲルマン=ローマ的国家、中世の教会)、第一章・ドイツ宗教改革とその結果(商人資本、教皇的教会の紊乱、ドイツ宗教改革、ルター、ミュンツァー、フッテン、農民戰争と再洗礼派、イェスイト主義・カルヴィン主義・ルター主義、三十年戰争)、第二章・プロイセン国家と古典文学(近代ヨウロッパ、プロイセン国家、ブルジョア文化の発端、レッシング、ヘルデル・ゲエテ及びシルレルの青年時代、カント)、第三章・フランス革命とその結果(フランス革命、革命戰争、神聖ローマ帝国の潰滅、プロイセンの改革と解放戰争、舊態に復したドイツ、美的仮象の国、ゲエテとシルレル・浪漫派、フィヒテとヘーゲル)、第四章・二つの革命の間に(世界史的轉換、ドイツにおける新生活、革命的文学・ハイネ、哲学とプロレタリアート・ヴァイトリング、浪漫的王様の治下で、マルクスとエンゲルス)、第五章・ドイツ革命とその結果(三月革命、半額名とその勝利、ドイツ労働者運動の初期、五十年代、プロイセン憲法闘争、ラサール)、第六章・上からの革命(全ドイツ労働者協会、ドイツの危機の発端、上からの革命、北ドイツ同盟、ラサール派とアイゼナハは、皇帝と帝国)、第七章・ドイツ社会民主主義(泡沬会社創業詐欺と文化闘争、労働者党の合同、反動的轉向、社会主義鎮圧法、緩和な実践、ビスマルクの失脚)――以上である。
なお、前期原著者の「序言」の最後には、「新ドイツ史を取扱った第二部は、同じ位の量で今年の秋現われるであろう」と書かれていた。これについては邦譯者も別段説明を加えていないが、多分その約束はその通りには果たされたのであろう。少なくとも、『労働者運動史』等には、それに当る部分がある。
ところで、名著『ドイツ社会民主党史』*(一八九七年)の後に書かれた本書は、老メーリングの円熟せる筆に成った――物語的な興味をさえ伴った――好著であって、既述の如く、それぞれの時代の代表的な・かつ対照的な・主要人物らをそれらの歷史的背景の中に浮彫りして、讀者に溌溂たる興味を起こさせると共に、各時代の・就中「ドイツ古典文学」時代ないし「フランス革命」時代、或は「青年ドイツ派」時代の・哲学ないし文藝思潮を明らかにしていることは、譯者も言っているように「ドイツ史の内的必然的関連の解明」として、また可能な限りの全面的な歷史記述として、まず、本書の叙述のすぐれた点だといえよう。
次に、十九世紀以来の近代ドイツの歷史において、いわば「市民的西歐」と「封建的東歐」との対立・相関を見ようとするメーリングの見解は、他の場所に於けると同様本書にも明かであるが、ここではさすがにその著『美学的散歩』などにおけるよりはずっとよく階級的根本規定に卽して居り、より多く妥協に示されているように思われる。ドイツ社会民主党の全般時代に、しかもその躍進期に至るまでを述べたものであるだけに、そこに当時の社会民主党的な・楽観主義的な史的展望が多分に見られるにも、やはり本書の叙述上での一特徴であろう。

参考

邦譯書はこれまでのところ前掲のものだけ。戰後、謂ゆる「大塚史学」の流行に伴って、近代ヨーロッパ史に関する新しい研究も盛んに行われ、近代ドイツ史に関しても、例えば東京都立高校教授・松田智雄氏などの注目すべき業績が現れているから、それらとの比較対象は有益であろう。なお、本書の著訳書(改造文庫版)の出た頃には、ソヴィエト大百科版・永田廣志訳『唯物史観・ドイツ史』のようなすぐれた類書も出ていて、比較研究上有力な資料とすることが出来ていたが、今日でも若し後者が古本ででも入手できれば、それはやはり大いに役立つだろう。

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