53〉動的社會學

Dynamic Sociology(1883)
ウォード、レスタ・フランク

意義と構成

本書はウォードの主著であって、アメリカにおいて社会学を初めて組織的に樹立した重要な書物である。ウォードは本書によって、コント及びスペンサーと並んで社会学の建設者の一人と數えられるに至ったほどである。彼は本書において、コントの体系を重んじ、スペンサーなどの進化思想を承けつぎながらも、社会進化の上における人為力の決定的に重大な使命を强調している。そしてこの社会進歩は、どこまでも進化なのであって革命ではないことを説き、その進化の上における教育お役割を重視している点が注目される。本書を構成する目次の大要は次の如くである。

第一巻――第一章
:コントの実證哲学批判。第二章、スペンサー批判。第三章、第一次的集團(自然的)。第四章、第二次的集團(有機的)。第五章、同(心理的)。第六章、同(人間の発生)。第七章、第三次的集團(社会的)。

第二巻――第八章適應、第九章功利、第十章進歩、第十一章行為、第十二章意見、第十三章知識、第十四章教育。

内容

ウォードはまずコントとスペンサーとの批判から出発する。彼は價額の分類においてはコントをほとんどそのまま採用する。社会学は、コントが主張するように、心理学ではなく、況んや生物学ではない、と言う。著者は独自の生物学的眼光によって、社会の生物学的基礎を論ずるのであるが、その際運動社会と人間社会との区別を强調する。運動社会の結合は本能的・自然的であるが、人間社会のそれは理性的・人為的である。従って人間社会の進化においては知能が重要な役割をなすことを主張する。この点でウォードはスペンサーの社会有機体節の根拠をなしている生物学的偏見から決定的に離れ去り、社会学に対する心理学の役割を重視する。然し、ウォードは社会学を心理的科学に止まっている。彼によれば、社会現象は「社会自身によって、それ自体の関心に向いて、知的に統制できるものである。」従ってかれは、スペンサーの、自然的過程そのもののなかに社会進化をも見ようとする自由放任主義には反対するのである。
著者は社会学を諸種の社会的科学の總合と考える。だが、それは總和なのではない。總合することによって新しい質のものとなる價額である。従って、社会学は「科学の科学」である。ではその取材は何であるか?それは人間の業績である。卽ち、人間とは何であるかではなくて、人間とは何をするものか?である。その人間の業績の現れば極めて多様であって、本質的には歷史的な性質のものである。だから、社会学的研究への道は、何よりもまず歷史的でなくてはならない。
生物界を支配する原動力は食慾(生命の維持)と、性慾(生命の持続)とである。人間社会においても、それらは原本的な力であるが、そこでは、原本的な力から誘導される副次的社会力がある。知的、道徳的、美的要求などがそれである。これらの諸力の働きは社会力学を構成する。社会力学は社会静学と社会動学とに分れる。前者は平衡状態にある社会力として、後者は運動と変化とを産む社会力として解釈される。言いかえれば、社会静学は社会秩序を取扱うものである。社会秩序は社会構造より成るが、この構造には物質的なものと物質的でないものがある。人間の制度――宗教、法律、道徳、技術、産業など――もまた構造であって、社会静学の対象である。社会静学における原則は協働(共同作用)である。凡ての社会構造は協同によって説明することができる。
社会動学は社会の動的過程を問題とする。この動的過程は、社会的均衡の攪乱、卽ち社会進歩、社会沈滞、社会後歩、社会不安などとなって現われる。動的過程を支配する原資は、第一「一の不同」、第二「革新」、第三「動能」の三つである。
「位置の不同」とは物理学上の「位置エネルギー」というような用語から借りられた概念であって、異種の文化の融合を産み出す宇宙的原則である。同一文化の範囲内では社会的進歩を見ることは出来ないが、異種族が衝突の中で交雑することによって創造的總合が生れる。故に種族闘争は人生進化に不可欠の要素であり、種族闘争の止む時は人類社会の進歩の止まる時である。
「革新」とは生物学から借りられた(例えば突然変異の如き)概念であって、社会構造の形を変更する原則である。生物の変異は幾世代か潜伏していた剩餘エネルギーの発現であるように、社会にも集積されたエネルギーがあり、その剩餘エネルギーが社会革新を産むのである。だがこの剩餘エネルギーを所有することは恵まれた少数者に限られている。だから、社会革新はそれら少数者の力に俟たねばならない。
「動能」とは、環境の変形をなさしめる原則である。生物界では環境が有機体を変形させるが、社会にあっては人間が環境を変形する。人類の進歩はこの環境の改変に基¥のである。それは経済的・産業的・分野の物質的進歩のみでなくて、知的・道徳的・美的分野における進歩についても同様である。
右のような運動原則によって生まれる進歩は、人間が意慾しなかった変化となることがある。それはかかる変化は「能産的自然」(スピノザ哲学の用語)の働きであり、人知の範囲を超える宇宙的神秘力の働きであることによる。この神秘の眼を排して、この力の作用を窺い知り、またその原理を発見して、これらの意識されない、底深くに横わる動的動因の法則を立てることが、眞の科学の使命である。かくて、社会動学は自然的・厚生的過程を越えて、人為的・目的的過程(=社会目的)を明らかにせねばならない。換言すれば、社会動学は自然現象の潮流を人類進歩の溝に通らせるものとならなければならぬ。

参考

本書の邦譯はまだ出ていない。ウェードは本書の後に『純正社会学』、『應用社開学』などを発表しているが、その『純正社会学』を基として教科書的に彼の社会学をまとめたものに『社会学教科書』(一九〇五年)がある。この本は『純制社会学要論』(内山賢次訳)として「世界大思想全集」第三十七巻に収められている。それによって、『動的社会学』の思想をも知ることができる。紹介書としては松本潤一郎著『社会学論及び学説』(昭和九年)も見るがよい。

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