59〉フランスにおける階級闘争

Die Klassenkampfe in Feankreich 1848 dis 1851(1895)
マルクス、カール

成立と意義

マルクスは本書において、フランスにおける一八四八年二月の革命と、その六月におけるプロレタリアートの敗北と、それ以後、一九五〇年三月十日の普通選挙権の廃止にいたるまでの階級闘争とをとり扱っている。本書はその続編にあたる『ルイ・ボナパルトのブルュメール十八日』*と共に、マルクスが時代史の解剖に唯物史観を適用した具体的な実例をしめすものとして重要なものである。エンゲルスも本書につけた諸言の中で、「この著作は彼の唯物論的見解によって、時代史の一片を与えられた経済状態から説明せんとするマルクスの最初の試みであった」と言っている。
それと同時に本書の特別な意義は、マルクスが本書において初めて、「プロレタリアートの革命的要求を総括した最初の公式」を提供している点にある。それは生産手段を社会の所有物にするということであるが、その点を彼は第二章の中でこう言っている。――「労働に対する権利ということは、ブルジョア的な意味においては、矛盾であり、憐れにもはかなき願望である。労働の権利の背後には、資本に対する強権が立っており、資本に対する強権の背後には、生産手段を獲得して、これを団結した労働階級の支配に属せしめること、したがって賃銀労働の撤廃、資本とその相互関係との撤廃が経っている」と。この公式につしてエンゲルスは、「ここに初めて、近代的労働者社会主義が、封建的、ブルジョア的、小ブル的などの種々なる色どりの社会主義とも、ユトピア的ないしは自然発生的な労働者共産主義の混乱した財産共有制度とも、きっぱりと区別されるところの明大が公式化されている」と言っている。

内容

二月革命の原因の説明の中で、著者は、革命に先立つころの人民の不満を反動にまで成熟させたものは、二つの世界的な経済上の出来事であったことを指摘している。第一のものは、一八四五-六年のジャガ薯の凶作である。そのため四七年には物価が騰貴し、フランスでも他の国々でも金融貴族は酒宴にふけっているのに、食物の得られない民衆は各地で一揆を起して処刑されていたのである。第二のものは、四五年にイギリスに始まった商工業の恐慌であった。その恐慌は四七年の秋に頂点に達したのであるが、二月革命が始まった時には大陸はなおその強余波の中にあった。そしてそれは商工業を荒廃させ、金融貴族の専制的支配を一層たえがたいものにしていたのである。
内乱は二月二十二日の労働者および学生の大示威運動から始まった。その大衆の先頭には学生が経っていた。官憲は軍隊の一斎銃撃をいつわって、政府を構成する十一のいすのうちの僅かに二つだけしか労働者代表には与えなかった。二月二十五日、なお武装している労働者は、その力によって政府に共和政治を強要し、二時間以内での解答を求めた。「二時間の起源のすぎないうちに、パリのあらゆる墻壁には、はやくもあの歴史的な巨大な言葉が燦として輝いた。――フランス共和極――自由・平等・博愛!」と著者は書いている。
このようにして普通選挙の上に立つ共和国が宣言された。だがこの共和国は労働者が求めていた社会共和行ではなくて、ブルジョア共和国であった。労働者は巧みに裏ぎられたのである。その後のブルジョアジーの術策はあらゆる僞瞞に満ちていた。彼らは遂に、6がつ二十二日には国民工場を閉じて、十萬の労働者を街頭に投げだした。労働者は餓死するか戦を開くかしかなかった。「かくて近代社会が分裂した料階級の間の最初の大戦役が行われた。これはブルジョア的秩序の存続か滅亡かの闘いであった。」
「いかに労働者が首領もなく、共同の計画もなく、資力もなく、その最大部分は武器を持たないでいて、しかも比類のない勇敢さと才能とをもって」軍隊を五日間悩まし、「またブルジョアジーが耐え忍んだ市の苦悩をいかに前代未聞の兇暴をもって埋め合わせたか」を語った後、マルクスは、それがあの「自由・平等・博愛」が齎した解答であった!ことを憤激している。
六月敗北が教えたものは、(1)プロレタリアートの地位の極く僅かな改善でさえ、ブルジョア共和政府の内部ではユトピアであること、(2)一国の労働者が奴隷である間は他国の人民にも自由はありえないこと、(3)農民の協力なくしてはプロレタリア革命は成功しえないこと、などであった。
著者はその後の階級闘争を細かに既述した後、共和国の憲法議会が王党的ブルジョアの手に帰し、やがて憲法が無視されたことをのべている。即ち憲法第五条には「フランス共和国ハソノ戦闘力ヲ如何ナル人民ノ自由ニ対シテモ使用スルコトナシ」とあるのに、ブルジョアジーは自国の人民に発砲し、ローマ共和国人民に発砲したし、また憲法の名において、労働者の結社権を取りあげ、遂には普通選挙権を廃止して、王政への準備をととのえたのである。そこでマルクスは「憲法の解釈は憲法を作った者に属するものではなくて、憲法を受けとった者にのみ属するものだ」ということを一理解すべきであると説いている。

参考

邦譯はマル=エン全集第五巻に収められている他に、山川均譯(影考書院版)がある。

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