62〉民族政策論

Natsionalinye Voprosy
スターリン、ヨシフ

構成と意義

本書は一九一七年から一九三〇年迄に行われたスターリンの民族問題に関する演説論説(二二編)から成っている。民族問題におけるスターリンの功績は、レーニン的民族政策をうけついだだけでなく、それを発展させて、ソ同盟内の諸共和国の間の諸問題を解決し、ソ同盟を渾然たる一つの共和国連邦たらしめたことにある。こゝでは全てをしょうかいすることはできないから、十月革命前になされたもの、十月革命後になされたもの、ソヴィエト諸共和国の合同についてなされたものに分け、その中から数篇を選んで説明を加えよう。

内容

まず千九百十七年五月に行われた『ロシア社会民主労働党第七回全露会議における民族問題に関する演説』の中で、民族問題に関する党の態度を著者は次のように要約している。
1 ロシアを構成する一切の民族に対しては、自由な分離と独立国結成との権利が承認されねばならぬ。プロレタリアートによる諸民族の分離権の承認のみが、各種の民族の労働者の完全な連帯性を確保し、諸民族の真の民主主義的な接近を促進させる。
2 党派広汎な地方自治、上からの監督の撤廃、強制的国定語の撤廃、経済上及び生活様式上の諸条件や住民の民族構成等の考慮に基づく地方民自身による自治地方の境界の確立を宣言する。
3 「文化的民族自治」を断平として排斥する。社会民主主義の任務は全世界のプロレタリアートの国際的文化を強化することである。
4 党は一民族のいかなる特権でも、少数民族の権利のいかなる侵害でも、無効であることを宣言する。
5 労働者階級の利益は、ロシア全民族の労働者が政治的、職業的、共同=啓蒙的等の單一なプロレタリアートの組織に融合することを宣言する。――以上がプロレタリア革命迄の党の民族問題に対する見解の要点であった。
さてその後達成された十月革命は民族問題にいかなる結果を齎したであろうか?この問題は『十月革命と民族問題』(一九一八年)の中で明らかにされている。即ち二月革命が労働者農民の手によって行われながらブルジョアにその権力を握られ、ツァーリズムに代って帝国主義がさらに強力な圧迫となって現われたのである。帝国主義は必ず少数民族制服を伴うから、その下での小民族国家の真の自由はありえない。被圧迫民族の解放は邊境の労働者農民がロシアの労働者農民と同盟して帝国主義を倒し、権力を勤労大衆の手に移すことによってはじめて可能であったことが、十月革命によって明らかにされたのである。十月革命が民族問題の上で持っている世界的意義は主として次の諸点である。
1 民族問題を民族的圧迫に対する闘争という部分的な問題から、被圧迫民族、植民地及び半植民地の帝国主義からの解放という一般的問題に転化させ、その歯にを拡大したころ。
2 東西両洋の被圧迫民族を帝国主義に対する戦いという一般的な線に導き、その解放のための広い可能性と実際的な道を開拓し、これによって彼らの解放の仕事を著しく容易にしたこと。
3 このようにして、西ヨーロッパのプロレタリアから、ロシア革命を経て、東西の被圧迫民族に至る世界帝国主義に対抗する新しい革命戦線を結成し、社会主義の西ヨーロッパと奴隷化された東洋との間に橋を架けたこと。
さてプロレタリア革命によって生れたソヴエト共和国の民族問題の対象はどのようなものであろうか?これは一九二一年の『民族問題に関する党の当面の問題』及び『民族問題の提起について』という論説の中で明らかにされている。即ち、ロシア及びロシアと結びついた諸共和国におけるソヴエト制度の下では、もはや支配民族もなければ無権利の民族もなく、本国もなければ植民地もなく、非搾取者もなければ搾取者もないが、しかもない、民族問題は嚴としてロシアに存する。ロシア社会主義共和国における民族問題の本質は、われわれが、後れた民族の文化的経済的発展を現実的に且つ長期的に亙って援助することである。しかもこのためには、ただ民族的同権のみに止まっていてはならず、民族的同権から民族の実際的平等化の手段に、次に示す実質的な手段の考察と実行に移らねばならない。即ち、1後れた民族の経済状態、生活様式、文化の研究、2その文化の発展、3その政治的啓蒙、4高度の経済形態への漸次的且つ健全な誘導、5後進先進諸民族の勤労大衆間の経済的共同の調整。
さて革命後五年目、即ち一九二二年にソヴエト権力史上劃期的なソヴエト諸共和国の合同が行われた。この問題については、一九二二年になされた『諸ソヴエト共和国の合同について』の中に論ぜられている。即ち、それ迄(一九二二年)のソヴエト共和国は、共同の行動をとってはいたが、それぞれの孤立して進み、自己の存率問題に没頭していた。だが戦争の結果残された社会生活全般に亙る荒廃によって、国民経済の復興は諸共和国の個々の力では不可能であり、また資本主義の包囲に対抗することは、ソヴエト諸共和国が単一の戦線を創設せぬ限り不可能であった。これが諸民族合同の理由である。

参考

邦訳には米村正一訳『ソヴエト民族政策論』(ナウカ社版)がある。

Copyrightc 1949 新島繁 All Rights Reserved.