65〉ユトピア

Utopia(1517)
モア、トマス

意義

「ユトピア」という言葉の意味は「どこにもない場所」ということであって、「無何有郷」などと訳されている。本書でモアは自己の理想国のことを書いているのだが、それは決してかれの單なる想像の産物ではなくして、当時の現実に対する鋭い批判の産物であると共に、自己の実際政治家としての体験に基いて立案された国家経営策である。理想国について書かれたものとしては古くはプラトンの『国家篇』があるが、モアの『ユトピア』はプラトンの場合以上に現実性の强いものである。そこでは、既に社会主義的な多くの問題――私有財産制の廃止、経済共産主義、労働の組織、婦人問題、人口問題など――が取りあつかわれている。本書は十七世紀に至って多くの追随者を出した。例えば、カンパネラの『太陽の都』*ベイコンの『新アトランティス』*などがそれである。

内容

第一篇では当時の社会状態に対する分析と批判とが述べられている。卽ち、当時の英国は盗人、失業者、廃兵の群で充満していたが、その第一の原因は、数多い貴族と、おびたヾしいその家臣達とのそんざいである。貴族は自分達は働かずに、雄蜂のような農民の労働によって生活し、彼らを搾っている。彼らに附属している家臣達は怠惰で、かつ生活のための技術をもって。いない彼らは戰争のために、人類の屠殺のためだけに必要なのであって、路頭に投げ出された時には、盗人や無頼漢となる。相次ぐ戰争の為に廃兵は続出し、国民の負担は重くなり、農村も年も荒廃している。
第二の原因は、無数の牧羊の群の存在である。英国のいたるところで、最も高價な羊毛の生産のために、貴族や富豪やそして僧侶迄が、彼らが得ている地代収入には満足しないで、農民の土地を奪って羊の為の牧場にかえ、人家や村を破壊した。そのため多くの農民は家を失い仕事を失う。彼らは餓死するか、盗人となって死刑にされるか、又は浮浪人となって獄に入れられるしかない。つまり「羊が人間を食いつくしている」のである。
第三の原因は、このような農民の衰頽の結果、生活費が上ったことである。それだけではなく、羊毛の値が上ったので、これを加工して織物を作っていた貧しい人々は羊毛を買うことが出来なくなった。従って、社会的な貧困はますますひどくなっていった。著者は以上の状態に対して次のことを提言している。卽ち、新しい法令を定めて農場や農村を、それを取拂った者達に再建させること、富豪が市場を独占することを認めぬこと、農村を復興し織物工業を再開すること、などであって、これらの策を講じない限り、どんなに刑を重くしても無益であると言っている。
次に、著者はフランス国王とその重臣達の例をとり、彼らが如何なるカラクリを以て野望を満たそうとするか、国王を富ませるために如何なる奸策を用いるかを述べて、政治上の腐敗を衝いている。そして、このように生活全般に亙って色々な悲惨事や缺陥があるのは、要するに社会制度の根本が誤っているからだということを指摘する。その根本的な誤りは、私有財産を認めることである。私有財産がすべてを支配し、貨幣がすべての標準であるところでは、物の正しい平均な配分が行われるはずがなく、従って社会が正しく管理され繁栄することはなく、人々は幸福になることはできない。国民共栄の理想国家は、財産が国有にされてはじめて実現することができる、と著者は言っている。このように当時の世相を述べたのちに、著者は、彼が理想とする社会の第二篇に、ユトピアという島国に托して描いている。
このユトピアは四面海にかこまれた独立国家であって、国民は全て国有の設備のよい家に住み、農具の備った農場をもっている。この国では特殊な才能のある者が学者となって労働を免れる以外、国民皆労であって、男女を問わず皆労行を行っているが、農民以外にも何か一つの技術、例えば織布術、木工術などを習得している。労働時間は六時間に定められているが、僅か六時間の労働で必要な生産物が得られるのは、一人として労働を怠るものが居らず、無駄な職業が廃止されて、一切の労働が必要品の生産にのみ振りむけられているからである。彼らは、自分たちの臆する都市が必要とする食料品の量を知っているが、常に剩餘の量を清算して貯蔵している。各家庭の生産物はすべて市場にもちこまれて保存されている。
その生産品の配分について述べると、各家の家長が自分の家族の必要な物品をこの市場からうけとって家へ運ぶのであるが、この場合、代金とか公益の代物とかは勿論必要でなく、すべて無償である。物品は豊富であり決して缺乏することはないから、だれも必要以上を請求するわけがない。このように、各人いずれも無財産ではあるが、各人すべてが富んでいる。また生産物に剩餘が出来た場合には、他国と貿易して、その剩餘物品と多額の金額との自由に缺乏した物とを交換する。ユトピア国は、金は国家にとっては利益になるが、国民は金銭を使う必要がないので、他の諸国民のように金銭の所有から生ずるおびただしい心配、苦労をもっていない。そしてこの国の国家の制度は、国民が労働以外の時間をできるだけ精神の自由と修養に使わせるようにできているので、彼らは男も女も障害を通じて学問にはげんでいる。そして彼らは善い生活をしたいと思っており、死後の幸福は忙しい労働と義務を十分にはたすことによって得られると思っている。以上のように理想国について述べた著者は、最後に再び現存する社会を痛烈に批判してこの書を結んでいる。

参考

邦訳には本多顕彰訳『ユトピア』(岩波文庫版)のほか、村山勇造訳(世界大思想全集、第五〇巻)がある。なお別項、カウツキー著『トマス・モアとそのユトピア』を必ず参照すること。

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